2012年6月6日水曜日

実光坊(江部)を探す 湖東三十三所(野洲郡三十三所)現地探訪_8

先日は、現在ある「無障山 長光寺(近江八幡市江頭)」を実際に見てきましたが、*圓光大師(法然上人)二十五霊場の第十二番札所であることは確認できましたが、湖東三十三所観音霊場であることの観音様の存在など確認が出来ませんでした。

*圓光大師(法然上人)二十五霊場の第十二番札所については、住職さんの話では「野洲の札所」と言われていました。
*調べてみると「野洲圓光大師(法然上人)二十五霊場」というものがあり、伊賀、尾張にも地域限定(?)の 「圓光大師(法然上人)二十五霊場」があるそうです。

そこで、 もうひとつの第十二番札所と名前が挙がっている「実光坊(江部)」を探してみることにしました。
まず野洲の江部とは、どのあたり?ということですが、その昔は、江部荘と呼ばれ現在の野洲市中北・永原・北あたりを指す地名で、永原御殿跡や、平家物語で有名な妓王寺の周辺の集落を指すとのことです。 
そして、琵琶湖河川事務局のホームページにある湖東三十三所霊場への道の小さな地図と現在の地図とを合成してみました。


正確に合わせようとしたのですが、微妙にズレてます。
(湖岸は道路や埋立地を作ったりと変化も大きいです)
だけど集落に残る旧道は、現在のバイパス的の道とは少し位置が違うので、およそ合ってるのかな?という感じです。
どこまで、正確な古地図なのか確認はとっていないのですが、第十二番札所が、常念寺さんの、すぐ北側にあることがわかります。
また小さくてわかりにくいですが、永原御殿跡に隣接していそうな位置に第十二番札所があるらしいということが推測できます。

それでは、永原御殿跡の周辺を探索です。 


県道2号線を近江八幡市方面に進むと「江部」交差点があります。
そこから永原御殿跡を目指すと「妓王寺臨時駐車場」の看板が続いています。
そして土安(てやす)神社が見える細い十字路を左に曲がれば、永原御殿跡の前であり、 「妓王寺臨時駐車場」があります。


マイクロバスから普通車が停められるほどのスペースです。
奥に見える鎮守の杜は土安(てやす)神社です。 
およそこのあたりから、南西方向を、まず探してみます。




駐車場の前の竹やぶが永原御殿跡です。
説明も何もなければ、どこにでもある竹やぶにしか見えません。


 少し歩くと水田の横に石垣が見えてきます。



これを見て心が踊る人、ただの石垣にしか見えない人、色々と思いますが、私は変に観光地として税金を投入した記念館が建ってるより、ありのままで良いなぁと感じます。





教習所のクランクコースの脇に、ぽつりぽつりと家が建っている感じのところですが、お寺の跡らしき石碑は見当たりません。


ここにも駐車場があり、開けた場所があるのですが、ここに来るまでの道が狭いので観光バスは入れません。


菅原神社が見えてきました。 


菅原神社 (スガハラ) ~(永原天神 江部の天神さん)
【御祭神】菅原道真公
【創祀】不詳
社記によると、ここ永原の字馬場のうちには御殿跡が残され、永原御殿と呼ばれた。徳川将軍上洛の際の休泊所が設けられていたが、その当時御殿の北に位置す る土安神社(当社の風地境内社、明治七年小堤城主永原越前守源重秀の再建)とともに御殿守護の社とされ、慶安二年、徳川家光公から八石余の朱印地を先例に 従って寄附されている。なお、この朱印は、明治維新には逓減禄に改められた。明治以降、菅原・土安両社は、当時の江辺庄永原村、北村、中北村三ヶ村の村社 となり、永原重秀が御神像の腐蝕することを恐れ、新しい御神躰を奉製し、当社遷座の日を例祭日(四月第二の午の日)と定め神輿の渡御が行われるに至った。
【主な祭礼】2月25日祈念神道大護摩大祭=火渡り神事 神道火渡り神事は全国唯一である
滋賀県神社庁ホームページより


地図資料を片手に撮影していると、ちょうど郷土研究愛好会のような人たちと遭遇。
「何か調べておられるのですか?」とタイミング良く声を掛けられたので、「このあたりで西国霊場の写しの湖東三十三所に実光坊というお寺があったらしいので、それの手掛かりを探している」 と説明すると、「実光坊は知らないけれど、観音さんは神社の中にありますよ」と返事を頂いた。
そして「ちょうど今、奥さんがおられるので聞かれてみては?」と教えてもらい、神社に入ると、すぐ左手に観音堂と思われる建物が・・・。









そして、いよいよ、核心の「実光坊」について、奥さんに聞いてみました。

しかし、これが質問の仕方が悪かったようで、「実光坊」のことを聞くあまり、観音さんの話よりも、「実光坊?実光坊?実光坊?・・・さて?」となってしまい、「うちのところは観音様は居られるのですけど・・・。実光坊というお寺は聞いた事もなく、札所めぐりもしていないような所なので・・・。」ということで手掛かりが掴めず・・・。


だけど、せっかくこうして観音様に会えたのだから、ここは困った時の神(神仏)頼み。
「どうか、第十二番札所がみつかりますように・・・」と、生まれて始めて観音様に拍手を打つ神式の礼拝で祈りました。


 う~ん。観音様にまで会えたのに(外からだけで、仏像は拝見していないのですが・・・。)
どこだろう? 御近所さんの家の庭とかだったら見つからないだろうな・・・。
と、ちょっとションボリで、観音堂を出ました。
そして入口右手を見ると、立て札があり、一部文字が消えてますが、この観音堂の説明があります。

読みにくいので書き起こします
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天神 観音(一部文字が消失)
神仏習合思想において天神さまの本地仏は十一面観音さまと崇められています。
天神さまは正式には天満大自在威徳天神とお呼びしますが、この呼び方も観音さまの三十三化身の内の大自在天身によるものです。
私たち人間を救ひ助けるため神と仏が一体となっておられます。
神仏に同時に祈願する当神社の祈祷こそ本来の姿です。

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なるほど・・・で、何か最後に書いてあるな・・・




湖東三十三個所 十二番霊所 永原天神

いきなりご利益ありました・・・。ありがとうございます。
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「実光坊」「無障山 長光寺」は何だったのか謎は残ったままですが、ネットで調べてみると、長栄寺という天台宗の寺院が明治時代の神仏分離令で神社になったそうで、それと何か関係があるのでしょうか?
位置的には札所として、ぴったりの場所でもあり、十一面観音様が居られるという事で、ここで第十二番札所は間違いないと思われます。

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