2012年6月10日日曜日

木部の観音寺を探す その2 湖東三十三所(野洲郡三十三所)現地探訪_11

今までなら神社がある直ぐ隣りに何かの手掛かりがあったのですが、この木部地区において、神社の隣りは大寺院の錦織寺さんということになります。


【錦織寺略歴】
平安時代初期の天安2年(858年)に天台宗の円仁さん(慈覚大師)により創建された毘沙門堂に遡るとされる。
建長5年(1235年)、浄土真宗の開祖親鸞聖人が逗留し阿弥陀如来を祀ったとされる。
その後、この地の領主石畠氏の援助により寺院として整備され、慈観さん(法林院殿慈観上人)がこの寺に入り一派を形成した。(真宗木辺派の宗祖は親鸞聖人によりはじまる)
戦国時代から江戸時代初期にかけては二宗(浄土真宗・浄土宗)兼学の状態だった。
江戸時代中期、享保六(1721年)、良慈上人が兼学を止め浄土真宗に復帰。
文化11年(1814年)には准門跡に列せられた。



野洲の西国三十三ヶ所霊場の写しが出来たのは江戸時代とされるので、すでにその頃は錦織寺さんは浄土真宗木辺派の本山だったので、観音霊場ではなかったということがわかります。
観音信仰は天台宗の教義と結びついているので、「南無阿弥陀仏」と念仏を一心に唱える浄土真宗とは教義が異なるので、観音さんを探すには少し場違いになります。

別の極端な言い方をすれば、マクドナルドに牛丼を買いに行く様なものなので、「う~ん、どうしようか」と、しばらく悩みました。

だけど、大寺院だから聞いてみると何かわかるかも?と寺務所に行く事にしました。


「あっ!」
これで何かに気づいた人は、御朱印マニアなのかもしれません。


そうです。ここは浄土真宗木辺派の本山ですが、御朱印があるのです。
御朱印を集めてる人には説明のいらない話ですが、教義の違いから「浄土真宗のお寺に行っても御朱印はない」 というのが定説(?)で、観音霊場めぐりや、御朱印を集める人には、浄土真宗のお寺さんに行くのは、やや縁遠くなるので、ちょっとした驚きを感じます。
(しかしながら滋賀県(近江という方がしっくりきますが)の場合、信長の焼き討ち前までは天台宗の寺院だったところが多いので、浄土真宗のお寺に観音さんや御朱印があることは、それほど珍しいこともなかったりもします。この湖東三十三所も浄土真宗のお寺が多いです。)

「もしかしたら、マクドナルドに牛丼あるかも・・・?」←違います。

「もしかしたら、観音堂があったりして・・・?」←もしかしたら、あるかもと期待が膨らみます。

そして伺ったのですが、やはり観音堂はなく、「天安堂に毘沙門天さんなら居られる」とのことでした。

と、いうわけで、 ちょっと木部の集落を散策ですが、


集落の南北に走る通りの北側ですが、立派な塀があるものの、観音寺跡がみつかりません。


集落の中央の通り沿いに、お地蔵さんが居られましたが、ここにも寺院跡はみつかりません。


集落の中央南側の西隣寺さんですが、先程の錦織寺さんと同じ浄土真宗のお寺さんなので違います。


集落東側のバス停付近です。


再び錦織寺さんの前に戻ってきました。
次は、集落の西側ということで、集落中央のお地蔵さんがあるところまで戻ったところで、ちょうど、西の方から散歩で歩いて来られる方がおられたので尋ねてみました。
持っていた地図を見てもらうと、錦織寺の天安堂を指差して、「ここに博物館などにも行かれる事もある観音さんが居られるよ」と返事をもらい、もう一度、錦織寺さんへ。


「う~ん。違うかもしれないけど、一応確認」ということで天安堂へ


錦織寺さんの東側にある天安堂です。(この東隣は最初に行った木部神社です)
やはり、ここなのでしょうか?




教育委員会の立て札や錦織寺さんの丁寧な解説板で、ここには毘沙門天さんのお堂ということになります。
もうここまで書かれてあるのに、再度尋ねるのも変ですが、御朱印のことも気になるので寺務所へ



↑こちらは阿弥陀堂↑

やはり天安堂は毘沙門天さんが居られるところで、このあたりの観音堂は判らないとのことでしたが、尋ねた方が子供の頃に遊んでいたところに、この野洲三十三所の観音さんがあって、○番という石碑のことが気にはなっていたとのことで、残り2つが判れば三十三所が揃うと説明すると、子供の頃からの疑問が解けると一生懸命になって頂き、この木部に詳しい関係者の人と、野洲の観光課に電話で尋ねて頂きました。
団体の方が来られる準備をされていたのに、本当に皆様お騒がせしまして申し訳ありません。
この調査が責任重大になってきました。

そして野洲の観光課の方が調べて頂いて、まだ不確定な情報では、福泉寺(永原) が元天台宗で、そちらに何か手掛かりがあるかもと教えて頂きました。

お礼を言って、これはレポートにまとめて返答しないといけない状態になりましたが、とり急ぎ、福泉寺へ。


 やはり突然連絡もせずに行っても、ご不在でしたので調査継続中です。(続く)


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