「市三宅の慈眼院」については、野洲市歴史民俗博物館(銅鐸博物館)研究紀要 第5号(1995年3月)に載っているそうなので、図書館で調べるか、直接に博物館の学芸員の方に聞くとわかると思うのですが、学芸員の方もお忙しいので後ほどお伺いしようと思います。
というわけで、先程の野田の観音堂から、車で10分程度の木部集落に向かいました。
集落の東にある「錦織寺」は浄土真宗十派のひとつ、真宗木辺派(約200寺)の本山で、湖東三十三所で最初に参る守山東門院の旧中仙道に残る道標にも記されている大寺院です。
守山東門院から第四番札所の慈眼寺(帆柱観音さん)に向かう旧中仙道沿いに道標はあります。
「左 錦織寺 四十五町 こ乃者満ミち」
*こ乃者満ミち=このはま道=木浜道=現在の免許者センター(守山)方向にあった港への道
それでは、まず集落の中心となる神社から探し始めます。
「錦織寺」のすぐ隣の「木部神社」です。
【御祭神】素戔嗚尊
【御神紋】亀甲
兵主神社所管二十一社の一。社伝によれば、欽明天皇の時代に鎮座。江戸時代以前は、「悪王子神社」と呼称されたが、明治初期に鎮座地の地名にちなんで、木部神社と称された。
(滋賀県神社庁HPより)
屋根瓦には右三ツ巴の紋が・・・。(野田の八幡神社は左三ツ巴だった)
明治以前は「悪王子神社」と呼ばれ、「悪王子」とは悪い王子という意味でなく、「素戔嗚尊の荒魂」という意味だそうです。
「どうか、木部の観音寺が、みつかりますように・・・。」
社殿の右側には老人憩の家があり、自治会館、児童公園も隣り(上の画面の位置では背後)にあり、神社が地域のコミュニティースペースとして生き続けていることがわかります。
石碑がありますが、これは木部神社の「神武天皇遥拝碑」 です。
住宅案内図ですが、「観音寺」は見当たりません。
すぐ隣りが錦織寺の山門です。
真宗木辺派の本山だけあって、このすぐ左手に大型観光バスも入れる駐車場があります。(次に続く)
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