日に焼けて文字もほとんど見えない住宅案内図ですが、慈眼院の文字が見つけられません。
湖東三十三の御詠歌には
第五番 慈眼院
ここもまた 法(のり)の宝の市三宅 蓮(はちす)の池の 清きにも知れ
と詠われていますが、「蓮(はちす)の池」が手掛かりのようですが、どこにあるのでしょうか?
上の写真は、安楽寺の前の更地ですが、場所が、安楽寺の前にあったのなら、文献などのどこかに「安楽寺の向かい」と書かれてあるはずですが、関係性も不明ともなると、近くではあるものの、向かい側で関係がわからないというのも変な話です。
また一軒おいて、奥に鎮守の杜らしき樹木に覆われた部分があります。
さてあれは何でしょうか?
安楽寺の向かい側の更地の横に細い通路があるのですが、これが個人の敷地なのか通路なのか、非常にわかりにくいところです。
城跡を研究して歩いている人たちは、この反対側(東側)の個人宅の移築門を目印に、個人宅に挨拶をしてから入られるのですが、私が行った時は移築門のことも知らず、住宅地図の大きな空白(所有者不明の場所)に慈眼院を探す目的で入ったので、これが何かわからず詳細不明の鎮守の杜だとしか思いませんでした。
そして盛り上げられた土が発掘調査の跡か何かと思ったのですが・・・。
発掘跡でなく、明らかに意図して土が盛り上げられていることがわかります。
そして祠が木の陰の隙間から見えてます。
城跡で土塁の形跡だと教えてもらうと、なるほどですが、いきなり詳細不明の鎮守の杜だと思っていても、いきなり祠があるのは驚きます。
まして鳥居もなく、屯倉神社で見た滋賀65選の巨木よりも、さらに大きな巨樹を目の前にすると、これ以上は近づけませんでした。
詳しいことは・・・
城は見るだけ…歩くだけ!(日本の城郭) 市三宅城
近江の城郭 市三宅城
の方が詳しいです。
まさに、「♪この~木 何の木 気になる木~♪」です。
これだけ目印になるほどの巨樹が何かわからないはずがありません。
とりあえず調べてからの方が良さそうなので、帰って調べてから「市三宅城跡」と判った次第です。
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