2012年6月30日土曜日

第二十二番札所 日輪山佛法寺 湖東三十三所(野洲郡三十三所)現地探訪_20


■札所番号
     湖東三十三所(野洲郡西国三十三観音霊場) 第22番札所
*石柱には国寶 聖観世音菩薩の文字はあるものの、郡西国の記載無し
(野洲郡)圓光大師(法然上人)二十五霊場 第5番札所
■寺院名/宗派
日輪山 佛法寺
(文献などでは山号が月輪山になっていることがあるが、本堂の扁額は「日輪山」)/浄土宗
■所在地  野洲市井口(いのぐち)524
■連絡先(電話) 077-589-3005


■開山 不詳
■創建も不詳 僧立誉により慶長年間(1596~1615年)に再興され、浄土宗の寺となる
■御本尊 聖観世音立像(藤原時代・国の重要文化財)旧万福寺より
大日如来坐像(藤原時代・市指定文化財) 旧万福寺より
■御詠歌
      法(のり)の水 流れ出(い)づらん 井口(いのぐち)の 鳴くや蛙の声もたのもし 

■備考      拝観予約が必要





この仏法寺のすぐ隣りは兵主大社の末社の「千原神社」



宝篋印塔・・・文保三年(1319年) 鎌倉時代後期・野洲市指定文化財



境内を歩いていると、何やら不自然なところに石が置いてあると思いましたが、近づいてよく見るとなんと本物の亀さんが登場。
兵主大社関係で亀と言えば、神様が琵琶湖の上を渡る時に仕えたのが亀であり、手水舎の龍の代わりの亀、神紋までも六角形の亀の甲羅がデザインされています。
まるで神様が「兵主十八郷の神社も行ってみなさい」と伝言されたようにも思い驚きました。






*木造聖観音立像の画像は、「神仏います近江」のHPをご覧ください。
 http://www.biwako-visitors.jp/shinbutsuimasu/shinbutsu/konan/konan_014.php


■車で行く場合
井口(いのぐち)の集落は道路幅が狭く、車では通れないところもあり駐車場がないため
野洲川歴史公園サッカー場の無料駐車場から・・・約800m(徒歩10分)
ザ・ビッグエクストラ野洲店(イオンタウン野洲)駐車場から・・・約1.5km(徒歩約18分)
のいずれかより歩いて参拝が無難。
■駐車場  ありません     
■拝観料     志納

2012年6月28日木曜日

来迎寺周辺 国主大明神社と謎の鳥居など(野洲市小南) 湖東三十三所(野洲郡三十三所)現地探訪_19

来迎寺周辺(野洲市小南)


近江八幡市方向へ県道2号線を進むと「小南」の交差点があります。
県道48号線を旧中主町側(琵琶湖側)に左折すると、車同士のすれ違いが難しい通りになります。



子供たちが通学で歩くのも危険なほどの狭い通りです。


滋賀県道48号線を走破された方の動画ですが、4分8秒あたりから、この小南の集落になります。


来迎寺の東側の通りですが、このあたりに祠が点在しています。
画面の左側には


円筒形の井戸のような上に祠があります。(上の地図のBの位置。Aの位置の祠は撮影し損ねていました。)


来迎寺と国主神社を結ぶ南北の通りだけは広いです。左に謎の鳥居が見えます。



扁額や石碑などが無いので、この鳥居が何なのかわかりません。
ただ鳥居の上部の笠木が上に反る形をしているので、明神鳥居だと思われます。
そうなると、この近くの国主大明神社の御旅所なのでしょうか?


そして、来迎寺の北側の田んぼの中にある小さな丘陵に五輪塔があります。
そこから、さらに北へ県道48号線をまたぐと


児童公園のとなりに国主神社が見えてきます。



神像のある立派な神社のようです。
(路上駐車が多く駐車できる場所がなかったので、外から眺めただけでした。)

2012年6月26日火曜日

第十六番札所 来迎寺(野洲市小南) 湖東三十三所(野洲郡三十三所)現地探訪_18

 
■札所番号
     湖東三十三所(野洲郡西国三十三観音霊場) 第16番札所
*大正期に建てられた石柱には国寶の文字と、圓光大師(法然上人)の文字はあるものの
郡西国の記載無し
    (野洲)法然上人二十五霊場 第13番札所
■寺院名/宗派
光明山 来迎寺   /天台宗→浄土宗
■所在地  野洲市小南1912 
■連絡先(電話)      077-587-1680
■開山   恵心僧都源信
■創建     長徳元年(995年)
■御本尊 (天台宗時代)聖観世音立像(平安時代初期・国の重要文化財)
(浄土宗の現在)阿弥陀如来 
■御詠歌
      補陀洛の 岸にやかよふ 小南の 里にも法(のり)の 雨ぞ潤ふ

■備考      拝観予約が必要








石造層塔 残欠(鎌倉時代中期)
詳しくはこちらで詳しく説明されています。



以下、国の重要文化財である聖観音立像の写真は、大型写真集『近江の祈りと美』より抜粋




■車で行く場合
県道2号、野洲市(近江八幡市手前)「小南」交差点から県道48号を琵琶湖側へ
小南の集落で途端に道が細くなるため、車同士のすれ違いが難しいので注意
圓徳寺の白壁の先の十字路を南へ(白壁とは反対方向へ)
■駐車場  来迎寺北側(正門左側)にマイクロバスも駐車できる専用駐車場あり      
■拝観料     志納







来迎寺の周辺、北側に水田があるのですが、水田の小さな丘陵の中に五輪塔。
また南西側に、謎の大きな鳥居。(地図に記載無く社殿も不明。道路側に扁額無し。)
そして集落の南側に祠だけが点在。
謎???

2012年6月17日日曜日

市三宅の慈眼院を探す その5 湖東三十三所(野洲郡三十三所)現地探訪_17

いよいよ市三宅の慈眼院を探しての最終話ですが、結論としてはみつかりました。

 
ただ公開するには防犯上の問題があるように思えたので掲載内容を削除します。

2012年6月16日土曜日

市三宅の慈眼院を探す その4 湖東三十三所(野洲郡三十三所)現地探訪_16

安楽寺までは来ても、なかなか見つけられない慈眼院ですが、石碑すら残っていないのでしょうか?

日に焼けて文字もほとんど見えない住宅案内図ですが、慈眼院の文字が見つけられません。


湖東三十三の御詠歌には
第五番 慈眼院
ここもまた 法(のり)の宝の市三宅 蓮(はちす)の池の 清きにも知れ


と詠われていますが、「蓮(はちす)の池」が手掛かりのようですが、どこにあるのでしょうか?
上の写真は、安楽寺の前の更地ですが、場所が、安楽寺の前にあったのなら、文献などのどこかに「安楽寺の向かい」と書かれてあるはずですが、関係性も不明ともなると、近くではあるものの、向かい側で関係がわからないというのも変な話です。
また一軒おいて、奥に鎮守の杜らしき樹木に覆われた部分があります。
さてあれは何でしょうか?

先のブログにお城跡で迷路と書いてありますが、調べる前は、どうしてこんなにも迷路なのか不思議でした。


安楽寺の向かい側の更地の横に細い通路があるのですが、これが個人の敷地なのか通路なのか、非常にわかりにくいところです。
城跡を研究して歩いている人たちは、この反対側(東側)の個人宅の移築門を目印に、個人宅に挨拶をしてから入られるのですが、私が行った時は移築門のことも知らず、住宅地図の大きな空白(所有者不明の場所)に慈眼院を探す目的で入ったので、これが何かわからず詳細不明の鎮守の杜だとしか思いませんでした。
そして盛り上げられた土が発掘調査の跡か何かと思ったのですが・・・。


 発掘跡でなく、明らかに意図して土が盛り上げられていることがわかります。
そして祠が木の陰の隙間から見えてます。
城跡で土塁の形跡だと教えてもらうと、なるほどですが、いきなり詳細不明の鎮守の杜だと思っていても、いきなり祠があるのは驚きます。
まして鳥居もなく、屯倉神社で見た滋賀65選の巨木よりも、さらに大きな巨樹を目の前にすると、これ以上は近づけませんでした。

詳しいことは・・・
城は見るだけ…歩くだけ!(日本の城郭) 市三宅城
近江の城郭 市三宅城
の方が詳しいです。


まさに、「♪この~木 何の木 気になる木~♪」です。


これだけ目印になるほどの巨樹が何かわからないはずがありません。
とりあえず調べてからの方が良さそうなので、帰って調べてから「市三宅城跡」と判った次第です。

2012年6月15日金曜日

市三宅の慈眼院を探す その3 湖東三十三所(野洲郡三十三所)現地探訪_15

屯倉(みやけ)神社に神頼みをして、とりあえずは市三宅の古くからある集落の中心部にある公民館方向へ向かいました。(北から南へ徒歩で移動しています)


集落の中を道路が曲がりくねっています。
古い集落には、よくあることですが、ここはそれ以上に迷路に近いです。
それもそのはず、ここには戦国時代、近江八幡のきぬがさ山にあった観音寺城が落城するまで、「市三宅城」があったとされるところで、永原氏の支城で、永原出雲守孝房が居城していましたが、織田信長の上洛阻止のため六角承禎に従っていたため、信長軍に攻められ、観音寺城と共に落城した歴史があります。
そのため細くて曲がりくねった道路の名残が存在しています。 


敵が侵入した時に少しでも遅らせる目的なのか、十字には交わらずズレがある交差点です。


公民館の少し北側に、「市三宅 行者堂」があります。


お堂というより集会所のような建物なので、意識していないと気がつかないと思います。



そして市三宅の公民館です。駐車場があるにはありますが、集落の中心部で道を間違えると、人様の庭へ車で侵入するほど複雑なところなので、はじめて来る人は無理して目指さない方が無難に思います。(徒歩でも2,3回、道だと思ったら人様の庭に入っていきました)


なお公民館の駐車場は、屯倉神社の御旅所と神輿の収蔵庫の前の場所を兼ねています。


 市三宅の集落に現存する唯一のお寺、安楽寺さんです。




ここにもありました。法然上人(円光大師)二十五霊場 第二十四番 御詠歌の書かれた額
選定された時代が古くないのか、金箔もしっかりと残っています。また調べる必要がありそうです。


散歩されている近くの方にお尋ねしても、「市三宅の観音さま」と言えば「安楽寺」と返事があるほど、ここ以外の観音様の居られるお寺はないようです。
ちなみに野洲の歴博も、慈眼院と安楽寺の関係性については不明だそうで、屯倉神社が安楽寺の守り神的存在と昔から意識されていることからも、慈眼院と安楽寺を比較しても、安楽寺の方が目立つ存在だったと思います。


だけどこの湖東三十三所(野洲郡西国三十三所)を開創した人は、あえて安楽寺を選ばずに、慈眼院の方を札所に選んでいます。より野洲郡内を色々と歩いてもらいたい意図があったのか、たまたま慈眼院に知り合いが居られたのか謎が残ります。


なお、安楽寺の門前にある国宝を示す道標は、「是ヨリ 七町西」(1町は約109.09メートル)と刻まれています。大正時代に建てられたようですが、どうやら700m東に離れた位置にあった道標が、ここに移動してきたようです。